「私は彼女に選ばれたのかもしれない」最近そのように思うことがある。
学びを得るためにいろいろな施設へ訪問してきた
その中のひとつでどちらかというと「悪い例」の参考にと訪問した場所
多くのわんちゃんがいる中で、彼女はじっと私を見つめていた・・・
他にもたくさんのワンちゃんがいるのに私はその子にしか目がいかない・・・
「私だよ・・・」と言われている気がした・・・
出会いである。
人が犬や猫を飼おうと思ったときにペットショップや譲渡会へ行くでしょう
その時になぜかその子にだけ目がいってしまうようなことがなかっただろうか
何かの「縁」のようなものを感じたことはないだろうか・・・よく言う「赤い糸」
飼い主にとって犬や猫は家族であり、多くのものを彼・彼女らから得ていると思う
癒しであり、温かさであり、やさしさであり
飼い主なので「あたえている」感覚が強いかもしれないが、実は彼らから「あたえられている」ものの方が多いのではないと最近考える
少し視点が違うが面白い研究記事を見つけた。
サイエンスポータル記事 (外部サイトへ移動します)
麻布大学の獣医学部が行った犬の「情動学」に関する研究である。
動物行動学と行動学による「情動の伝染」のしくみについての研究。
元々犬は人間と共生を始めた最も古いオオカミ由来の動物。犬と人間が長い間共生してきたため、
犬は人間の情動の変化まで認知できるようになっている。
これまでの研究から犬と人間は視線や行動を介して絆の形成ができることや、信頼関係に関わるホルモンとして「オキシトシン」を分泌し合うことも分かっている。
この研究では犬と人間の互いの情動が同調し合う「情動伝染」の有無について、心拍変動解析を用いて秒単位で評価している。その結果、試験者である飼い主と飼い犬双方の心拍変動の内約半分でペアの心拍変動が似る傾向が見られている。似る傾向が見られたペア、見られなかったペアを調べると、飼育期間が長いほど同期化しやすく、またメスはオスよりもより同期化する傾向が見られたと記載されている。
生まれてすぐやさしい飼い主に出会えた幸せな子は、早い時期に飼い主を選べた・・・
野犬など不幸な環境下にいる子は、近くに選ぶべき人間がいなかった・・・
彼女は選ぶべき人がいないところに生まれてしまったので、神様が彼女に与えた試練の時間があったのかもしれない。
そして彼女は私を選んだ・・・
妙に納得がいく
選ばれたからにはたっぷりと愛情を注ごうと思うが、実は私が注がれているのかもしれない
犬猫を飼いたくてまだ出会えていない人は、まだ選ばれていないのかもしれない・・・
犬や猫を飼っている人は、あなたが選んだのではなくあなたが「選ばれた」のかもしれない・・・
哲学的である。
筆:まるのちち